2018/01/16

180116

今日病院行くということに昨日の夜気が付いた。
早起き…と憂鬱になったけど、
遅く気が付いた分、案じる時間が少なくて済んだのはよかったかも。
もっと先に知っていたら、寝だめ?するとか言いながら布団にもぐっちゃって
絵が仕上げられなかったかもしれない。

あまり寝ないで、まずは病院に行って、次は職場へゴー。
病院行くことで、不健康ながらも規則正しい私のサイクルが乱れた…。
さいわい、眠気はそれほど感じないけどね。

寝ると果てしなく眠いけど、寝ないと眠くない。
これって変?と思うときもあるけど。
耐えられないほど眠いときは、寝るでしょう。

朝8時に外を出歩くのは珍しい。
いつぶりだろう。思い出せない。
寒かった。
日が当たるところだけ、ぽかぽか。
普段は日光は嫌いだけど(かぶれることがある)、
今日は好きだった。

掛川を思い出した。
場所も違うし天気も違うから
朝の早い時間ということ以外の共通点はないけど。

朝が始まってワクワク、って感覚は
子どものころのある一日を原型として覚えている。

なにがあったわけでもなく、ただ起きて、
部屋から居間に出て、
窓から燦々と光が差し込むのをぼんやり見ていた。
木の床。足の裏が少し冷たい。
光に照らされたホコリたちが静かに動いている。
小さな小さなクラゲたちみたいに。
そんな朝。

こどもはできることが少なくて
大した役割も回ってこないから、
ときどき、世界の傍観者みたいになるのかな?
その状況に参加しているんじゃなくて
無に近い存在がいて、ただただ感覚だけがくっきりしていたような記憶。

もう少し大きくなって、大人になって、
自分で朝の支度をしたり、朝ご飯を作ったり食べたりしてても
あの子どもの頃に感じたような朝の実感は沸かない。
一番近いものを感じるのは
たとえば朝の道を歩いたりしてて、
他の家から流れてくる味噌汁の匂いとか(掛川で感じた)
少し聴こえる音たち。
テレビ、会話、窓の開け閉めの音。
なにもしない私が、ただぼんやりと感覚だけを取り込む。
傍観者の感覚。

なんでこんな話になったんだっけ?

>>>

今は朝はほぼ起きていないから
ワクワクもないし、これじゃない感もないし、懐かしさもない。
朝の高揚感は好きだけど…。起きられない…。
寝ながら起きていたい。
(おい)

>>>

楽しい一日をお過ごしください。